138069 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ねぎとろ丼

ねぎとろ丼

親愛なるアリスへ


   『親愛なるアリスへ』

 肌寒くなってきた季節。豊穣の祭りはとっくに過ぎていて、冬の気配さえ感じる。
 早くもストーブを焚こうかどうしようか、と口にする者も出てきた。
 私レミリア・スカーレットとしては出すべきだと思う。
 私の様に暗い夜を飛び回る者にとっては、日中活動している者達よりも寒さを味わっているからだ。
 別に寒いからといって、無いと辛い程じゃない。暖房が無くても我慢出来る。
 吸血鬼がこの程度の寒さで凍えるわけがなかろう。くしゅん。
 今のは寒いからという理由でクシャミしたのではない。誰かが私を噂するから出たものだ。そうに違いない。
 なんと言っても私は幻想郷最強の吸血鬼だから。くしゅん。人気者は辛い。
 とはいえ寒い様な気がしないでもないので、誰かが居るところにでも行こうと思った。
 というわけで私は親友であるパチュリー・ノーレッジの居る所へ急ぐ。

   ※ ※ ※

 地下の図書館からはパチェ以外の気配を感じた。
 覗いてみれば人形遣いがパチェとテーブルで向かい合って本を読んでいるではないか。
 本を読みながら人形を操っているのか、テーブルの上では人形同士での剣を使った決闘をしていた。
「あら、こんにちは。お邪魔してるわよ」
 その人形遣いが私に気付いた。挨拶を返してやるとアリスはすぐ本に視線に戻した。
 図書館の中、というかこの辺りは暖かい。パチェが暖を取るために何かしらの魔法を使ったのかもしれない。
「珍しい客が居たものね」
 パチェは相変わらず本から目を離さない。ただ頷くだけの返事だった。
「先に言っておくけど、きちんとアポを取っていたわよ。誰かさんみたいに門番を薙ぎ倒したりなんてしてない」
「別に構わないのよ。闘ってくれるのなら、闘ってくれるで私はそれを観て楽しむだけだから」
 アリスはくすりと微笑んで本に戻った。後ろから声をかけられる。私の従者の声だ。
 メイド長をやらせている十六夜咲夜がお茶を淹れてきた。
 何も言わなくても気を効かせて持ってきてくれるとは、さすが私の咲夜。
 真っ赤なソースも忘れていない。私はテーブルにお邪魔し、それを飲みながら人形の決闘を眺めた。
「疲れないの?」
「これぐらい挨拶みたいなものよ。人形を二体しか動かしていないし、簡単な命令しか出していない」
「ふうん」
 よく観てみれば確かに人形達は決まった動きしかしていない。
 常に拮抗していて、終わる気配がない。いや、終わらないようにしているのだろう。
 と、ふいに人形が動かなくなった。本を睨んでいる。集中して読んでいるのだろうな。
 人形が動き出した。あまり興味のないところに差し掛かったのだろうか、人形の動きは少し激しくて複雑な動きをする様になっていた。
「魔法使い二人で読書会?」
「別にそういうつもりじゃないけどね。アリスが定期的にやってきて調べものとかをしていくだけで」
 パチェが本を置いてそう言った。席を離れて行く。花でも摘みに行ったのだろう。
 この場には私とアリスだけになった。尚も人形の決闘は続いている。剣の交じり合い。軽い金属音が響いていた。
 私はその人形同士の間に手を入れてみる。すると剣は私の手に当たる寸前で止まった。
「何か?」
 アリスは本を読みながら人形を止めたらしい。よく見えるものだ。
「別に」
「なら手を引っ込めてよ。怪我しても知らないわよ」
「こんなおもちゃみたいな刃物で怪我するほど柔じゃないよ」
「……」
 彼女は人形を操ることを辞めてしまった。人形が力失くして崩れ落ちる。私が手を引っ込めても決闘は再開されなかった。
「邪魔しちゃった?」
「最初からそのつもりだったんでしょ?」
「まあね」
 彼女は微笑んだ。私がただ構って欲しくてチョッカイをかけただけに過ぎない。彼女もわかってくれいたみたいだ。
 ふと、本を真剣に読んでいるアリスの横顔を見て顔が熱くなった。おかしいな、パチェの暖房の魔法が効き過ぎているんじゃないか?
 神秘的というか、母性的というか。そんなものを感じる。
 パチェが戻ってきた。彼女の顔を見て熱さは抜けていった。
「レミィ、どうかしたの?」
「え? 別に?」
「そう」
 私はまたしてもアリスの横顔を見ていた。なんだろう、すごく既視感がする。遠い昔に感じていたものが蘇ってくる。
 彼女の横顔から目を離すことが出来ない。釘付け状態。
 この感覚は一体なのか。私はよくわからない衝動に駆られて図書館を飛び出した。

 自分の部屋に急いで戻り、私は机の引き出しを開けた。筆記具と便箋が必要である。手紙を書くのだ。
 書き出しは……書き出し? 私は誰に手紙を出そうと思ったのだろう。
 そう、アリスだ。私はアリスに手紙を出そうと思った。何の手紙か? 彼女と二人きりで会いたいと誘うため。
 二人きり? どうしてそんなことを思ったのか。バカバカしい、アリスの横顔を見ていて何か引っかかるものを感じただけじゃないか。
 そう、何か引っかかるものがあった。それを確かめようと手紙を出そうと思ったんだ。
 書き出しは──。

 私は便箋をグシャグシャに潰してクズ籠へ投げつけた。
 バカバカしい、わざわざそんなことをしなくて良いじゃないか。今彼女はこの紅魔館の地下に居るのだから。
 そう思ったところで足は動かなかった。また顔が熱くなる。頭の中がよくわからないもので一杯になって何も考えられなくなるのだ。
 パチェの暖房魔法がここまで届くなんて思いもしなかった。

 結局日没まで私は布団の中で過ごしてしまった。布団の中でどうしようか考えていたら眠ってしまったのだ。
 慌てて図書館へ降りた時にはもうアリスは帰っていた。
「どうしたの?」
 魔法の研究をしながらパチェが声をかけてきた。図書館を見渡す。やはり居ない。
「アリスなら帰ったわよ」
「何よ!」
「別に」
「アリスと話をしたかったわけじゃないわよ!」
「……」

   ※ ※ ※

 一週間後。アリスはまたやって来た。
 アリスの気配を感じ取ると私は部屋から飛び出し、図書館へ降りていく。
 前と同じように、アリスとパチェが向かい合って座っていた。
「あら、こんにちは」
 澄ました表情でアリスに挨拶をされる。私の目には、もう彼女の姿しか見えなくなっていた。
 あまり感情の篭っていなさそうな雰囲気があるが、目の奥には熱いものを持っていそう。
 そんな魅了的なアリスから目を放せなくなっていた。
「こ、こんにちは!」
 いつものように返したつもりがやけに気合が入ってしまった。
 おかしなものを見る目を向けられたが、アリスはすぐに厚い装丁の本へ視線を戻した。
「どうしたの?」
 尋ねてきたのはパチェ。私は彼女の質問に答えず、黙って同席させてもらった。
 今日は人形を動かしながら本を読む、ということをしていない。代わりにメモを取りながら本を読んでいた。
 パチェも同様に何かまとめながら本を読んでいる。今日は勉強会みたいなものらしい。
 勉強会なら他にも魔法使いが居るから呼んだりしているのだろうか、と思った。
 人間の魔法使いが居ないことに驚きだが、帰りましたよと後ろから咲夜の声がした。お茶を持ってきたらしい。
 いつも魔理沙は美鈴を倒してやって来るのだが、今日は珍しく美鈴が勝ったから帰って行ったということ。
 後で褒美を用意してあげても良いと思った。他人によく絡んでくる魔理沙がこの場に居たら、私がアリスに話しかけ辛くなって居ただろうからだ。
 そしてアリスは礼儀正しくやってくるから、美鈴をスルーしてやって来ているということだろうな。
 よく私は我侭だとか言われるが、私だって空気ぐらい読める。
 仮に魔理沙がアリスと喋っていたら、私は彼女たちの邪魔なんて出来ないだろう。
 ある程度喋ったなら私もに喋らせてもらっても良いじゃないか、と思う。それだけだ。
 問題は私がアリスに話しかけたくても、話しかけられずに居ることだった。
 彼女の端整な横顔を見ていると胸が締め付けられる。そうなったらもう声なんて出ない。
 口が動いても何を言えばいいかわからなくなる。
 アリス、貴方と二人っきりで話がしたいの。
 そう誘ってみたいだけなのに、いざ言おうとすると頭の中が真っ白になった。
 そのくせパチェときたら平然と会話を楽しんでいる。私が彼女と話したいのに。
 彼女の気を惹こうとしないで。私が彼女を一人占めしたいのに、私は何も出来ずに居る。
 アリスのメモを見てみるも、私の知らない専門用語だらけ。
 熱心に勉強している姿を見ていれば「これ何~?」という具合で絡むのも躊躇してしまう。
 ひたすら無言の時間だけが過ぎて行く。いつもみたいに周りのことを考えないで話しかければ良いのに、それが出来ない。
「アリス、この前教えてあげた理論は役に立ったの?」
「ああ、あれね。駄目だったわ、応用しようにも誤差がありすぎて安定しないの」
「あー、やっぱり?」
 魔法に関する話をされたって理解できない。もっと私にとって有益そうな話しなさいよ。アリスの好きなものとか。
 大体パチェは何様のつもりよ。なんで貴方はそう簡単にアリスと会話が出来るのよ。
 私はまたしても図書館を飛び出して自室に引き篭もった。
 パチェなんて居なくなってしまえば良いのに。パチェが居なかったら絶対アリスとお話も出来たのに。
 私はこの日も何も出来ないまま、ベッドの中へ引き篭もった。

   ※ ※ ※

 一晩経ってみると自分が愚かであったことがわかった。居なくなれば良いのに、なんて言ってごめんねパチェ。
 こうなったら直接アリスの家を訪ねてやる。直に会って、私の気持ちを確かめれば良い。
 吸血鬼は夜行性の妖怪なのだが、アリスと会うためにお昼で起床。
 眠たい目を擦りながら身支度はしっかりしておく。お洒落はしっかりね。
 私の出かけようとする気配を感じ取ってか、部屋を出た所で咲夜に「お供致しましょうか?」と訊かれた。
 彼女の提案を断り、日傘を持って一人で玄関を出た。
 門には門番を任せている美鈴が居る。今は拳法の修行でもしている模様。
 こう言うと失礼に当たると思うが、妙な踊りをしている様にしか見えなかった。
「あれ? お嬢様お出かけですか?」
 そういえばアリスはいつも美鈴に挨拶して通っているんだろうな。嫉妬する。
 いけない、いけない。昨日の私みたいになるところだ。挨拶ぐらい誰だってするに決まっている。
 そんなことで妬いていてはまるで私がアリスに惚れているみたいではないか。
「ちょっと出かけてくるわよ」
「どちらまで?」
「どこでも良いじゃないの!」
「は、はいー!」
 驚かせてしまった。私は何をムキになっているのだ。別に隠すこともないではないか。
 とにかく行ってしまえば良い。こんなところで道草を食っている場合ではない。
「行かないんですか?」
 私は門から出られないで居た。
「行くわよ」
「……」
 動かない。足が動かない。踏み出せない。アリスの家に行くと思うと頭が熱くなって身動きが取れない。
「急用を思い出したわ」
「え? 用があるから外出されるのでは……」
「うるさい!」
 私はまたしても自室に引き篭もってしまった。

   ※ ※ ※

 飛び起きる。あれからまた一晩が経った。今の時間は昼間。今日こそアリスの家に行くんだ。
 用意をして部屋を出ると、扉の向こう側に咲夜が立っていた。
「今日もお供は必要ないですか?」
「ええ、いらないわ。それじゃあ行ってくるから」
「お気をつけて」
 気のせいか、咲夜の顔が笑っていた気がする。
 昨日アリスの家に行けなかったことを気付かれていただろうか。
 いや、仮に気付かれたところでアリスの家に行こうとした、とまではわからないだろう。
 せいぜい神社か、人里に行こうとしたのを止めたと思われたぐらいに違いない。
 玄関を出る。第一関門の門が見えた。美鈴は壁に寄りかかり、腕を組んでうとうとしている。
 しめしめ、こっそり通って行けば何も言われることはない。
 自分の家からも出られないようでは、カリスマの具現たる吸血鬼が笑いもの。
 この程度で足止めを食らう私じゃない。
 
 私は負けを認めたい。私はなんて馬鹿だったのだろう。まさか本当に行くことが出来ない吸血鬼だなんて。
「行かないんですか?」
「きゃ!」
 突然声をかけられて驚かされる。美鈴は寝ていたわけじゃなかったのか。
「いつになったら出かけられるのですか?」
「か、考え事をしていただけよ。今出て行くところだったわ。大体何よ、昼寝なんかしちゃって」
「私はずっと寝た振りをしていただけですよ。お嬢様が足音を立てないようにしているのを見ていましたからね。まさか、お嬢様ともあろうお方が私の様な貧弱な妖怪の嘘寝を見抜けなかったなんて、言いませんよね?」
「……」
 美鈴が私をいじめる。酷い。あんまりだ。
「言っておきますけどお嬢様。お嬢様がアリスのことを気にしていると、館の皆が噂していますよ」
 なんということだ。まるっとお見通しだったとは。皆? 咲夜も、パチェも、フランも? 妖精メイドですら知っているとでも?
「行かなくて良いんですか?」
「……きょ、今日は体の調子が優れないから辞めておこうと思ってね!」
「そうですか。お嬢様ともあろうお方が、そうやってお逃げになるのですか」
 逃げる? 私が逃げるだと? 違う、これは逃げではない。緊張して体が動かないのだ。
「何なら私が投げ飛ばしますよ」
「じ、自分で行けるわよ!」
「お嬢様!」
 美鈴に手を掴まれた。じっと私の目を睨む。
「私、紅美鈴はお嬢様のその純粋なお気持ちを笑ったりなんてしません。私は心からお嬢様を応援しているんです」
 美鈴が真っ直ぐな視線でそう言った。真剣な表情を見れば確かに、ふざけている様には見えない。
 美鈴がしゃがみこんで私と同じ視線に。そして美鈴は私を抱き寄せた。
「緊張しているのはわかります。踏み出せなくって悩んでいるのもわかります。ここは一つ、私に任せてくれませんか?」
「な、何を?」
「私が今からお嬢様に勇気の出る気を流し込んでみます」
「……そんなことが出来るの?」
「信じてください! お嬢様に忠誠を誓ったこの紅美鈴、お嬢様が困っていればいつでも全力でお助け致します!」
 美鈴の気合の入り方が凄まじい。一体どうしたのだろう? こんなに目を輝かせている美鈴なんて滅多に見ない。
 何はともあれ、おまじないをしてくれるというのならやってもらおう。
「お嬢様、今からすることはおまじないなんてチャチなものじゃないですよ。その辺を理解してくださいね」
「……本当に効くの?」
「絶対効きます。私を信じてください。まさか、疑っているとでも?」
「い、いや。美鈴の気を使った術の威力は私も知っていし、認めているわよ。早速やって頂戴」
「いきますよ」
 抱きしめられたままのポーズで美鈴の体が光を帯び始めた。やがてその光は彼女の両手に集まっていった。
 そして両手の光は私の体に流れていき、私の体全体に光が行き渡った。
 暖い。美鈴の気持ちがひしひしと伝わっている。そのうち光は消えてしまい、美鈴が離れて行った。
「終わりましたよ。どうです? もう踏み出せないなんて、ないはずですよ」
 恐る恐る門と道路の境界に立った。アリスの家に行きたい。今日こそ行く。胸がドキドキしてきたが、確かに足は動いた。
「行けた! 行ける、行けるわ!」
「やりましたねお嬢様! ではお気をつけて!」
「行ってくるわね、美鈴! ありがとう!」
 すごい効果だ。体が軽い。すいすいと足が動く。それどころかアリスの家までひとっ飛びで行ける気がする。
 紅魔館から人里へ向かう道へ入り、魔法の森へ抜ける道に別れた。
 ここまで来ればアリスの家はすぐ……だったはず。前もってどの辺にあるのか、咲夜に訊いていたから問題はない。
 空気の淀んだ、魔法の森へ降り立つ。湿度が悪く、空気は悪い。不快ではあるが、魔法使いにとっては良い環境らしい魔法の森。
 ああ、見えてきた。彼女の家だ。小さく、小ぢんまりとした木組みの家屋。
 家の扉には苔さえ生えている。窓はあるがカーテンがあって家の中は見えなかった。
 煙突がついているものの、煙は上がっていない。
 注意深く見てみれば、そこら中に魔方陣が描かれていることに気付いた。
 きっとあれは妖怪避けの罠の類だろう。手を出せば火傷ぐらいはするかもしれない。
 玄関の扉にも仕掛けが施されているかもしれない。でもノックぐらいは出来るだろう。
 この扉を叩けば彼女が応じてくれるはず。私が気になっている、私の好きな彼女が。

 結論から言うとアリスの家に行くことは出来た。ただ、玄関の扉を叩いて中に入れてもらう、という所まで辿り着けなかった。
 家を見ただけでまた足が動かなくなり、私は帰ってきたのだ。
「美鈴のインキチ! 大したことないじゃない!」
「まあそうなんですけどね。心頭滅却すれば火もまた涼しって言うアレみたいなものなんで」
 普通の者達にとっては夕食、夜行性の私にとっては朝食の時間。私は美鈴に不満を漏らした。
 今夜の献立は私の好きな鶏肉のソテーブラッドソース和え。だが食事に集中出来ない程の怒りがこみ上げていた。
「やっぱりおまじないでしかないじゃない! プラシーボ効果だなんてチンチキで騙すなんて!」
「でもお嬢様は家から出られたじゃないですか!」
「うるさい! もういいわ、美鈴なんかに頼るんじゃなかった!」
 このままでは私のプライドが許さない。館の皆が知っているとなれば、こんなことで躓く私ではないと行動で示さないと。
 とはいえ今の私にはどうしていいかわらない。
 食事が済んだ後、地下へ降りた。私は恥を忍んでパチェにこのことを相談するつもりで居る。
「パチェー!」
「どうしたのよ、慌てて」
「……じ、実は」
「アリスのこと?」
「っ!? ど、どうしてそれを……」
「さっき美鈴から話を聞いたわ。アリスの家に行かず仕舞で帰ってきたんだって?」
 パチェの顔は笑っていた。
「酷い! パチェだったら何とかしてくれるって思っていたのに……笑うなんてあんまりだわ!」
「だって! レミィがこんなに恋愛下手だと思わなかったんだもの!」
 酷い。腹を抱えて笑ってる。酷すぎる。遺憾の意を表したい。そんなに笑うことはないじゃないか。
「……アリスのこと、気になるのね?」
 笑いが収まったパチェが真剣な表情になり、そう訊いてきた。どうせもう隠す必要もないだろう。私は頷いた。
「レミィらしくないわね。どうしたの?」
「だって、アリスを見ているともう頭の中真っ白で何も考えられなくなるのよ! それなのに、自分から会いにいくなんて、難しすぎるわ!」
「もう、仕方ないわね」
 パチェはそういって椅子を勧めてきた。お互い向かい合う形で座る。距離は近い。手を伸ばせば届く距離。
「アリスが言ってたわよ。レミリアは素敵な人だって」
「本当!?」
「嘘」
 さらっと酷い嘘をついてくれるものだ。励ましてくれているのか、彼女なりのユーモラスか。
「でも、嫌いじゃないって言ってた。これは本当よ」
「……」
「だから脈はあると思うわよ。思い切って正直な気持ちをぶつけてきなさいよ」
「……うん」
「薄い反応ねえ。どうしたの? もしかして、不安なの?」
「ええ」
 パチェの前でしか見せられない自分がある。それは弱気な自分。
 美鈴や咲夜の前で決して見せないようにしている、弱い私。
 美鈴の前では絶対に弱音を吐かない。咲夜が見ている所では消極的なことをしない。
 でもパチェが居る前であればどんな自分も見せることができる。それは彼女が弱い私を受け入れてくれるから。
「大丈夫、レミィだったらきっと受け入れてもらえるわ」
「パチェがそう言ってくれるのなら、私もう一回頑張れるかも」
「やってみなさい。とにかく言ってしまえば、後は野となれ山となれよ」
「……それって当たって砕けろってことよね?」
「告白してみなきゃわからないわよ!」
「そ、そうよね。うん。今度こそやってみる」
「それでこそレミィよ。行ってきなさい」
 パチェに励ましてもらった今ならもっと勇気が出るはず。
 時間なんて気にせず家を飛び出した。どうせこの時間ならまだアリスは起きているだろう。

   ※ ※ ※

 夜の森は非常に暗い。夜行性の私には見えているから問題ではないが。
 森の上空を飛んで行き、アリスの家が見えたらそこへ降りる。
 さっきは家の中に上がることさえ出来なかったが、今は違う。
 今の私は自信に満ち溢れている。アリスの玄関の扉をノック。ここまで行ける。後は話をするだけだ。
「はーい?」
 アリスの顔が見えた瞬間、私は身動きが取れなくなっていた。
 待って欲しい。もうちょっと心の準備をする時間が必要だ。
「あらレミリア。何の用?」
「あ」
「どうしたの?」
「その」
「用がないなら、ドア閉めるわよ」
「あの!」
「冗談よ。いいわ、とりあえず入って」
「……」
 このままでは帰れない。アリスはそのことをわかってくれた様だ。
 初めてのアリス宅訪問。いや、正確には初めてではないが状況が状況なだけに既視感が全くしないのだ。
 前に一度だけ来たことがある。通りかかったから、お邪魔しに行った。それだけ。
 だが今はアリスに会いたい、という明確な目的を持って来た。状況が違いすぎる。
「は、入るわよ……」
「え? ええ」
 声が強張っている。緊張しているのがバレバレだ。たぶんアリスは感付いた。
 どうしよう。どうしよう。ネガティブな思考が働いている。
 いや、パチェの言葉を思い出すんだ。もっと自信を持つべきだと。
「紅茶で良い?」
「え、ええ。良いわよ、お願い」
 落ち着かせる意味も兼ねて家の中を観察してみることにした。
 家のそこら中から物音が聞こえる。おそらく人形が動いている音だろう。
 その音というのも色々ある。機械音、というか歯車が動いている感じの音から、布の擦れる音まで。
 もしかしたら人形だけでなく、魔法の実験に使う機械の類を動かしているのかもしれない。
 家の中は湿気があるものの、かび臭さはあまりしない。よく掃除されているのだろう。
 家具類は小ぢんまりとしている物が多い。ドア付きの棚には人形や魔術関係の小道具、本がビッシリ並べられていた。
 注意深く耳を澄ましてみると、地下からも音が聞こえていた。まさか地下室までこしらえているとでも?
 そしてその地下室でも人形を動かしているのだろうか。恐るべし人形遣い。一体どれぐらいの人形を常に動かしているのか。
 今私は小さなテーブルのところに座らせてもらっていた。部屋の奥、右の方でアリスはお茶を淹れている。
 テーブルの上に置かれていた人形が動き出した。こっちへ近づいている。
 手の平を差し出した。人形が手の平に乗っかったので、私の顔の近くまで持ってきた。
 裁縫で作られた人形。これを彼女の綺麗な手で作られたかと思うと胸がときめいた。一つ持って帰りたい。
 アリスの代わりにして愛でてみたい。抱きしめたい。いや、小さすぎて抱きしめるのは難しいか?
「お待たせ」
 アリスがお茶を持ってきた。良い香り。それなりに良い茶葉らしい。
「あ、ありがと」
 トレイを持っているアリスの手を改めて見てみて、その美しさに言葉を失った。
 指先は丸い。きっと器用に動かせるのだろう。
 爪は綺麗に、かつ短く切り揃えられている。裁縫や糸を扱う上で邪魔にならない様、手入れがされているに違いない。
 肌の艶は抜群。きっとこの世にあるどの繊維よりも触り心地が良いに違いない。
 その手で私に触れて欲しい。その指で私の唇を撫でて欲しい。そのか細い腕で私を抱きしめて欲しい。
 そしてその手の美しさにも懐かしいものを感じていた。
 アリスが本を読んでいるの横顔を見たときにも感じたものだ。とても愛おしい者の姿と重なるのだ。
 それが突っかかって頭に思い浮かばない。とても大切な、大好きな者なのに。
 わけもわからず私は焦りだした。どうしてだろう、それを思い出せない自分に腹が立つ。
 でもどうしていいかわからず、困惑して涙まで出てきた。
「れ、レミリア?」
「ごめんっ!」
「え? ちょ、ちょっと!」
 告白する勇気を搾り出せないのもあって、私はアリスの家を飛び出した。

 私に寵愛を注いでくださった方が思い出せない。あの横顔から連想される、美しく優しかった人が思い出せない。
 紅魔館に着いたところで、苛立ちを誤魔化そうと門を蹴ったら粉砕してしまった。後でいくらでも直せば良い。
 門のところでうな垂れていると、一番鳥が鳴った。空の端っこが明るくなっていく。
 このまま日光を浴びてしまうのは不味い。私は紅魔館の裏口からこっそり自室へ入って、そのままベッドへ身を投げた。

   ※ ※ ※

 夢を見た。とても懐かしい夢だ。愛おしい人の顔が見えた気がする。
 しかし夢は儚いもの。目が覚めてしまってからはどんどん忘れてしまう。
 幼き頃の記憶だったかもしれない。フランに訊けば何かわかるかもしれないが、姉のプライドがそれを許さなかった。
 咲夜と話でもしてちょっと気を紛らそう。咲夜ー。おかしい。来ない。呼べば来るのに。
 ドレスが皺くちゃ。こっそり帰ったとき、そのまま寝たからだ。不快。下着も取り替えたい。
 今の時間は夕方。咲夜は昼寝でもしているのだろうか。
 咲夜は寝たくなるといつもは時間を止めて寝ているはずである。常に私の呼び出しに応えられる様言いつけているから。
 稀に時間を止め忘れたり、本当に眠たいときそのまま寝てしまうらしいのだが。
 廊下に出て呼んでも出てこない。面倒臭いなあと思いながらも、咲夜の部屋のドアを開けた。

 私はドアを閉めた。おかしい。この館の住民以外が咲夜の部屋で、咲夜と一緒に寝ている。
 もう一度ドアを開ける。やはりおかしい。ありのまま起こったことを話すと、冥界の庭師である魂魄妖夢が咲夜と一緒に寝ているのだ。
 フランが勝手に館を飛び出して神社に遊びに行ってる、とかそんなチャチなものじゃない。もっと恐ろしい何かを感じた。
「咲夜ー!」
「……ん。は、はい!」
 咲夜が飛び起きる。これまた驚いたことに咲夜は下着しか着用していなかった。
「これはどういうことよ。説明しなさい」
「説明も何も、ご覧の有様ですわ」
 妖夢は私の声を聞いても起きていなかった。それどころか寝相で咲夜の手を握り締めている。
 私の目の前で咲夜は自分の物アピールとは、良い度胸である。
「聡明なお嬢様でしたら、もうずっと前から感付かれていたのでは?」
「……え。あ、いや。その、あー。知っているよ。うん。気付いていたわ」
「そうですよね。聡明な! お嬢様が! お気付きにならないはずないですよね! ところでお嬢様はアリスと上手く行っているのですか?」
 従者の分際で私を煽るとは。咲夜は私に喧嘩を売っているのか? だがここはグッと堪えなければいけない。
 それにしても私よりずっと若いし恋愛沙汰に関して何の気配も感じられなかった咲夜が、遠く離れた所に住んでいる妖夢と付き合っているだと?
 私なんか五百年とちょっと生きて、未だにそういうことに関して疎いというのに。まして相手は元魔界人。
 私は一体誰に泣きつけば良いというのだ。美鈴にも助けてはもらった。パチェにはもう泣きついた。
 後はフランだが、頼れるはずもない。辞めなさい咲夜、私の見ている前で他人の女に口付けするな。
 見ていれば咲夜が妖夢の寝顔を覗きこんで顔をニヤけさせている。私だってアリスとそういうことがしたいのに。
「お嬢様」
「何」
「今日はお暇を頂きたいのですが」
「勝手にやってなさいよ!」
 こうなったらアリスのところへ行くしかない。いっそのことアリスに泣きついてやる。
 三度目の正直だ。今度こそ彼女に「好き」……いや「愛してる」の気持ちを伝えるのだ。
 それで気持ち悪がられたり「何言ってるのよ、この人。そんな風に見られるのって嫌なんだけど」と思われたりしても構わない。
 もういっそ力ずくでアリスを私のものにしても良い。何が人形遣いだ。こっちは吸血鬼なのだぞ。
 いやいや、駄目だ。彼女にそんな手荒な真似出来るわけがない。
 簡単に壊れてしまいそうな彼女の肢体を痛めつけるなんて、いくら悪魔の私でも出来っこない。

   ※ ※ ※

 紅魔館を飛び出してアリスの家に押し入ろう。今の時間は深夜。構うことなんてない。自分の気持ちをぶつけるだけで良いのだ。 
 そう、実に簡単なことじゃないか。もう迷う必要なんてない。
 私はアリスの家の玄関を蹴って開けた。入って左手の方から物音がする。
「ちょっとー、こんな時間に一体……れ、レミリア? さっき飛び出して行ってまた来たって、一体どういうことなの?」
 どうやら左にベッドを置いているらしい。髪の毛が少し乱れているアリスが不機嫌そうに出てきた。きっとついさっきまで寝ていたに違いない。
「私はアリスのことを愛しているの!」
「は?」
 言った。言いきった。とうとうやり遂げた。何て簡単なことだったんだろう。今まで随分と遠回りをしていたものだ。
 私の言葉を聞いたアリスは目をきょとんとさせている。体を硬直させている。きっと状況が飲み込めていないのだろう。
「もう一度言うわよ! 私はアリスのことを愛しているの!」
「はぁ」
 イマイチな反応。きっと脳が完全に起きていなくて、私の声が届いていないのではないだろうか。
「何度だって言える! 私はアリスのことを愛しているの!」
「うーん」
「喉が枯れたって言えるわよ! 私はアリスのことを愛しているの!」
 もう連呼だって出来る。言っているだけで楽しくなってきた。もう歌だって歌える。
 私は~アリスのことを愛しているの~♪ 歌詞は「私はアリスのことを愛しているの」。曲目も「私はアリスのことを愛しているの!」。
「で? いきなりやってきて、愛してるから何なの?」
「え……」
 彼女の意思が定まったかと思えば、冷たい視線を向けられる。酷く機嫌が悪そうだ。腕を組んで、自分の身を固めている。
 私のことなんか興味ない、という感じ。
「あなたの言う好きな人の安眠を妨げておもしろい?」
「あ……」
「はっきり言って迷惑以外の何物でもないんだけど」
「……」
 覚悟はしていた。邪険にされることも予想していた。それでも彼女のいかにも嫌そうな表情は見ていて、心が痛んだ。
 そんな目を向けるのは辞めて欲しい。でもきっと自業自得なのかもしれない。
 もっと前もって、きちんとしたときに言えていたら良いのに。こうやって自棄になって勢いだけで告白するのではなかったと後悔。
「あなたって、恋愛下手ね」
「え?」
「こんな何の雰囲気もない、しかも他人の家のドアを蹴る! 挙句の果てには一方的に愛してる、と言うだけ。あなた本当に告白する気あるの?」
「……あ、あるわよ!」
「ありがとう、その言葉が聞きたかったわ」
「え?」
 彼女の表情と雰囲気が一変する。和やかなものに。
 組んでいた腕を開き、私に手を差し伸べてくれた。きっと私は歓迎されているに違いない。
「レミリアが私のことを気にいていたのには感付いていたわ。パチュリーからもそう聞かされた」
「え? え?」
「私はあなたがこの家の近くまで来て、結局帰ってしまった所を見ていたのよ」
「そ、それは!」
「あのとき私はお茶を淹れて待っていたのよ。この意味がわかる?」
「え? さ、さあ……」
「なんでわからないのよ! 鈍すぎる! 私もレミリアのことを気にしてるのよ!」
 今何と言った? 彼女も私のことを……。
「あなたに話しかけられたいと思って毎週足を運んでいたのに、レミリアと来たらガッチガチに固まって全然話しかけて来ないんだもの」
「そ、それならアリスが話しかけてくれても……」
「私だって緊張してたんだもの! 仕方ないじゃない!」
 アリスは顔を真っ赤にし、握りこぶしを作って怒鳴った。何も怒鳴ることは無いじゃないか。
 それにしても、あんなにも冷静な感じの表情をしていたアリスまで緊張していただなんて。
「アリス、私はアリスのことが好きなの! アリスは……どう?」
 さっき何度も言ったけど、改めて問いたい。彼女の気持ちをしっかりと確かめ直したい。
「ええ、そうね。私もレミリアのことが好きよ。たぶんね」
「た、たぶん?」
「これから付き合っていく中であなたの魅力がどんなものか、見させてもらうわ。可愛いところ、しっかり見せてよね?」
「よ、よくわからないけど良い返事ってことよね? アリスー!」
 アリスの胸に飛び込んだ。アリスはしっかりと受け止めてくれた……が、私が押し倒してしまっている形でアリスは倒れてしまった。
「痛っ! ちょっとレミリア、そんなに強く押さないで!」
「ご、ごめん……」
 そうか、彼女はパチェと同じ魔法使い。吸血鬼の膂力で簡単に押さえつけることが出来てしまうわけだ。
 綺麗に手入れされたフローリングの上へと横たわったアリス。間近で見てみるアリスの体はとても官能的だった。
 端整な顔の輪郭、目や口等の配置と線。全てを見透かすかのように透き通っている瞳。やや高めの鼻も素敵。
 耳たぶに触ってみるとアリスは笑った。くすぐらせてしまったみたいである。そんな彼女が可愛かった。
 彼女の頬に指を這わせつつも視線を彼女の目から下の方へ。
 首に巻いているリボンを緩め、ケープとその下のブラウスをはだけさせた。
 アリスの綺麗な素肌がこんばんわ。首の根元を嘗めるように見つめる。
 鎖骨を指でなぞる。古来からお洒落に吸血行為をするときは、この辺りに牙を突き立てると決まっているのだ。
「ちょ、ちょっと……血でも吸うつもり?」
「ちょっとだけお願い。愛しいあなたの血液をほんのちょっとで良いから味あわせて欲しいの」
 その美しいからだに流れている血液を飲ませて欲しい。犬歯から吸い上げて脊髄で味わいたい。
「ほんのちょっと。ほんのちょっとで良いのよ。どうせお腹一杯になっても貴方を吸血鬼にすることは出来ないわ」
「……ちょっとだけよ」
「ありがとう。でもその前に場所を変えた方が良いわよね」
 アリスの腋を手で掴み、持ち上げる。さすがに床でこのままベタベタするのも申し訳ない。
 身長が足りていない私だが羽で飛んで身長差を誤魔化す。アリスを持ち上げて、一人用にしては少し大きく見えるベッドに運んだ。
「優しくしてね、とでも言えば盛り上がる?」
「ええ、そうね。もう獣になりそうなぐらい盛り上がっちゃうわ」
 心臓の高鳴りが激しい。自然と息が荒くなってきた。かぶりつきたい衝動を我慢しつつ、アリスの顔を覗きこむ。
「アリス、愛してる」
「そう言ってくれると嬉いわ、レミリア」
 アリスは私を愛してるとは言わなかった。でもいつか言わせてやる。
 私が欲しいものは全て手に入れないと気がすまない。
 私の思う通りにならないなんて嫌だ。だからいつかアリスの心も奪ってやる。
 暫く見つめているとアリスが目を瞑った。ちょっと、何で寝るのよ。
「レミリア、キスしないの?」
「え? あ、ああ。今しようと思ったのよ。まさか私がキスのやり方を知らないと思ったの?」
「うん」
 酷い。咲夜なら合わせてくれるのに。流してくれるのに。
「もう、仕方ないわね」
 アリスはそう言って私を抱き寄せた。アリスの美しい手が私の背中に回っている。
 あの綺麗な手で体に触れられていると思うと興奮した。
 だが今は私がキスをする番。私は引っ張られる役じゃなくて、引っ張る役。
 運命を変えられる側じゃなくて、変える側だ。
 寄せられるのに抗い、自分から顔を近づけて唇を奪った。
 間。動悸が激しい。激しすぎる。それぐらい緊張している。気を緩めたら失神してしまいそうだ。
 でも憧れのアリスとこうして一つになることが出来た。
 彼女との距離が近すぎる。髪の毛同士でも触れ合っている近さ。鼻を効かせれば、アリスの匂い。
 お互い意識したわけでもなく、唇を離す。目を開けるとアリスの目が潤んでいるではないか。
「レミリア、あなたがとっても綺麗に見える」
「あ、ありがとう。あなたも素敵よ」
「レミリア……」
 もう血なんか吸う必要がないってぐらい今の私は幸せだ。私はアリスの胸に顔をうずめた。
「ちょ、ちょっと……」
「んー、アリス良い匂い」
「や、止めてよー」
 そう言うが笑っている。なんて気持ち良いのだろう。まるで母親の胸の中。
 そうか。アリスを見ていて感じていたもの、それは私のお母様と姿が重なっていたんだ。
 アリスのあの美しい姿。冷たそうで暖かく、一目見ただけで惹き付けられる魅力を孕でいる。
 まさにお母様だ。妙な既視感はそうだったのだ。
「アリス、私喉に詰まっていた骨が取れた気分。あなたの雰囲気が私のお母様に似ているの!」
「そ、そうなの?」
「そうよ! ああ、この懐かしい感じ……まさにお母様!」
「ちょ、ちょっと……でも私はアリスよ。あなたの母親じゃない」
「わかってる、わかってるけど……もう少しこのままで居させて!」
「もう、仕方ないわね」
 彼女が私の頭に手を置いた。アリスの抱擁で顔が熱くなる。
 私が両親から離れて幻想郷に行ったのはいつ頃だっただろうか。もう殆ど忘れてしまったらしい。
 でも忘れていないことだってある。父の偉大な背中を。母の温もりを。
 もう血を吸いたい、という要求がどうでもよくなっていた。ただただ、アリスに包まれていたい。
 このまま寝られたらきっと良い夢が見られるだろうな。

   ※ ※ ※

 私はアリスの胸の中で一晩過ごした。あのまま眠ってしまったらしい。
 私は夜行性ではあるが、別に夜の間眠れないわけではない。
 眠たければ人間だって昼間に寝たりする。それと一緒。
 ずうっと優しく守られていた気分。母親のお腹で眠る胎児みたいに。
 起きたときには、アリスはベッドの上に居なかった。家の奥の方で火を使っている音が聞こえる。
 そして鼻に来る、お腹の減りそうな匂い。きっと朝食を作っているのだろう。
 いつもなら起床したときの身支度は全て咲夜にやらせているのだが、ここはアリスの家。そういうわけにはいかない。
 髪の毛を手ぐしで適当に整え、帽子は被らないまま良い匂いのする方へ向かった。
「あら、おはようレミリア。良く眠れた?」
 エプロンをつけたアリスがホットケーキを焼いているところだった。
「おはようアリス。良く眠れたわ、こんなにも気持ちの良い朝は久しぶりよ」
「そう。それは良かったわね」
 眩しすぎる彼女の笑顔。見ているだけで口元が緩んだ。
「洗面所はそこの奥よ。顔を洗い終えたら朝食にしましょう」
 彼女に促されるまま洗面所へ。見事な彫刻が施されている、立派な鏡が壁に掛けられていた。
 所々が錆びている様子だが、値打ちのあるものと観て間違いないだろう。こんなものをどうやって手に入れたのか。
 ここ幻想郷にある里の家具屋や、香霖堂とかいう店にもここまで豪華な鏡は無かったように思う。
 もしかするとアリスが元居たという、魔界産のものなのかもしれない。
 曰くつきの芸術品にも見えてきた。悪魔の私にピッタリな、不気味な雰囲気の鏡。
「レミリアー? 冷めちゃうわよー」
「今行くー」
 是非とも自分の部屋に飾ってみたいものだ。いっそ鏡ごとアリスが私の部屋にくればいいのに。
 顔を洗い流し、失礼のない様髪の毛をきちんと正しておこう。
 アリスの彼女としてつり合う綺麗な自分で居たいから。
「お待たせ」
 テーブルの上にはホットケーキとスクランブルエッグ、刻んだレタスがお皿に盛られていた。
 自分とこではもっと豪勢な食事を取っているだけに、シンプルな食事が逆に新鮮だと感じる。
 だけど私の好きな人が作ってくれたもの。美味しそうに見えないわけがない。
「何していたの? 人を待たせるなんて酷いわ」
「鏡が気になってね」
「ああ、あれ? 家から持ってきたのよ。私も凄く気に入っている」
「ふうん」
「あげないわよ」
「何も言ってないのに」
「嘘つき」
 腰を浮かせ、私の顔を覗きこんでそう言った。顔は笑ってる。私が本気でそう思っていないとわかっててそう言ったに違いない。
「さ、召し上がって。人間用の食事でお腹が膨れるのかどうか知らないけど」
「大丈夫よ、一日ぐらい抜いたって」
 そりゃあ血は栄養になるけど、愛しの彼女に作ってもらったご飯がこの世で一番美味しいものに決まっている。
 お洒落なカップに紅茶が注がれた。頂きますをして、まずは一口。う~ん、最高。
 ホットケーキにもうちょっとバターを乗せたいというと、どこからともなく人形が容器を持ってきてくれた。
「ありがとう」
 私は人形にそう言ってアリスに微笑みかけた。彼女もクスリと笑った。
 なんて素晴らしい時間なのだろう。紅魔館の中で過ごしてきた時間が霞む程、というのは言い過ぎか。
 かしゃん。何かが割れた音がした。割れた? 何を?
 手が熱い。太ももが熱い。私が手に持っていたはずのカップが床に落ちた?
「熱っ!」
 堪らず立ち上がった。カップは粉々。中身の紅茶が私の脚にかかったのだ。
「ちょっと……何してるのよ!」
「え?」
 アリスは怒っていた。
「それ私のお母様にもらったものなのよ! それを割るなんて……あんまりだわ!」
 乱暴に席を立ち、私の胸倉を掴んだ。アリスは私がカップを落としたことに激怒している様子。
 ようやく状況が飲み込めてきた。そうか、私は自分の不注意で彼女のカップを落としてしまったのだ。
 折角アリスと楽しい食事を楽しんでいたのに、私は自分の手でそれを台無しにしたのだ。
「ご、ごめんなさ……」
「謝って済む問題じゃないわよ!」
 アリスの怒り方が尋常じゃない。母親にもらった物だと言ったか? 確かにそれは大切なものだ。
 大事そうなものを私に出さなくてもと言い掛かりをつけたいと思う自分と、大事そうなものを出してくれるぐらい信用されているのね、と自惚れている自分が居る。
 尚もアリスの怒号は響いている。信じられない、人のもの壊すなんて、弁償してよ。感情剥き出しでヒステリックに叫ばれた。
 私はなんてことをしてしまったのだろう。でもこんなもの直せるはずがない。素人目で見ても修復不可能だと思うぐらい粉々になってしまったのだから。
 私は泣くしかなかった。ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返しながらすすり泣くしかなかった。
 どうしよう。私はこれからアリスとどうやって接していけば良いというのだ。
 こんな大失態を引き起こすなんて思ってもみなかった。穴があったら入りたいなんてものじゃない。縄があったら吊りたい程。
 彼女に自分の気持ちを伝え、彼女に受け入れてもらったのに。それなのに彼女の大切なものを壊してしまった。
 挙句、彼女を酷く怒らせてしまった。いつもの私なら偉そうに出来るのかもしれないが、アリスにそんな態度取れるわけがない。
 彼女に誠意を持った謝罪をしたい。そう思うが、子供みたいにただただ泣いているしか出来なかった。
「レミリア、顔を上げて」
 アリスが私を呼んだ? それも、優しい声で。顔を起こすと優しい表情に戻っていた。
「ごめんなさい、言い過ぎたわ。壊れたら困る大切なカップを貸した私に責任があるわ」
「そ、そんなことない! 私が……」
「良いの、もう良いの」
 彼女はそう言って私を抱きしめた。大切なものを壊したというのに。彼女は私を許してくれると言った。
「だ、だったら! カップを贈らせて! 弁償になるかどうかわからないけど、私のプレゼントとして……受け取って頂ける?」
「そうね、良いわよ。それで許してあげる。だからもう泣かないで」
 あんなにも酷いことをしたのに。取り返しのつかないことをしたというのに。
 それなのにアリスは私を許してくれると言った。
 やっぱりアリスは私のお母様にそっくりだ。優しさと厳しさを兼ね備えた人こそ私が愛する人として相応しいのだろう。
 だって今のアリスは昨日よりも魅力的に見えるのだから。

   ※ ※ ※

 日没。日傘を持たずに彼女の家へ転がり込んだので、陽が沈まないと帰られなかった。
 あれから私は何度もアリスに謝罪と感謝の言葉を言った。
 昼食のときには彼女の母親の話を聞いた。彼女も自分の母親を愛している様子だった。
 なんでも魔界を創りだした者らしい。魔界神、と説明してくれたか。一度挨拶に行きたいものだ。素敵な娘さんですね、と。
「それじゃあ、行くわね」
「ええ」
 彼女の家を出発。何度も振り返り、愛しのアリスへ笑顔を見せる。
 アリスは別れ際に人形をプレゼントしてくれた。彼女にソックリな人形。私はそれをぎゅっと抱きしめて紅魔館を目指す。

 紅魔館に到着。夜になったということで、美鈴が門を閉めようとしているところだった。
「あ、お嬢様。お帰りなさいませ」
「ただいま、美鈴」
「上手く行った様子で」
「は?」
「随分と嬉しそうですよ」
「そ、そんなことないわ」
「またまたー」
「さっさと門を閉めてきなさい!」
 今度は堂々と玄関から自分の部屋へ帰る。もう恥ずかしがることなんてない。
 なんたって私は正真正銘、アリスに認められた愛人なのだから。
 地下への階段を降り始めたところで咲夜が近くに控えていた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。アリスとはどうなったのですか?」
「別に、どうもしないわ」
「顔がニヤけておいでですよ」
「……」
 咲夜にもそう言われるか。今の私は隠しきれない程嬉しさが滲み出ているのだろうな。
 地下図書館。ここに来ればパチェが居るはずである。私は彼女に上手く行ったと報告しに来たのだ。
「あら、レミィ」
「ええ、パチェ」
 彼女は私の顔を見ただけで把握してくれた様子だった。
 私に「これから失礼のない様に頑張りなさいよ」と言ってくれた。

 アリスに贈るカップを用意しないといけない。彼女にも気に入って頂ける様、真心のこめたプレゼントでないと。
 それでいて最高級のものでなければ。落ちても割れず、かつお洒落なカップはないだろうか。
 そうだ、プレゼントを用意するだけでは味気ない。手紙を書こう。プレゼントに添えるための手紙。
 前に挫折したけど、今度はきちんと書ける。便箋を机に出し、ペンを取る。
 アリスに頂いた人形を眺めながら、彼女への愛の言葉を考えた。書き出しはこうだ。親愛なるアリスへ。

---------------------------------------------

当サークルでは気に入っていただけた作品への投票を受け付けています。
よろしかったらご協力ください。時々投票結果をチェックして悦に浸るためです。
   └→投票ページはこちら(タグ系が貼り付けられないため、外部ブログになります)


© Rakuten Group, Inc.